人生で欠かせない対人関係!3つの人生の課題(ライフタスク) – アドラー心理学

2021-06-05アドラー哲学・個人心理学,心理学

アドラー心理学では、人生で取り組むべき3つの課題(ライフタスク)というものがあります。

これは社会で生きるうえで欠かせない対人関係の課題であり、この課題に取り組んで達成しなければ、対人関係の悩みは解消されません。

では、そのアドラー心理学でのライフタスクとは何なのか紹介していきます。

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人生で取り組むべき3つの課題(ライフタスク)

これまでの説明の通り、アドラー心理学での解釈では人間のすべての悩みは対人関係にあります。

逆を言えば、対人関係の悩みを解消すれば人間は幸福になれるということであり、この実現が私たちに課せられた人生の課題だとアドラーは考えました。

そして、ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係の課題を、アドラーは次の3つに分類しました。

  1. 仕事の課題:他の人々の安寧に貢献するタスク
  2. 交友の課題:仲間や親族との社会的関係を築くタスク
  3. 愛の課題:パートナーとの最も親密に繋がるタスク

アドラーは、この3つの課題を総称して人生の課題(ライフタスク)や対人関係のタスクと呼び、後方になるほど課題が難しくなると言いました。

例えば、交友の課題が仕事の課題より難しい理由は、仕事では一定パターンの繰り返しになることが多く、決まった作業、決まったセールストークをすればいいだけです。

しかし、交友には決まったパターンはあまりなく、仕事よりも自由度が高いので難易度は上がります。

さらに愛の課題が交友の課題より難しい理由は、自由度が高いうえに価値観が違う異性との付き合いだからで、同性と話すことは簡単でも異性との会話では途端に何を話していいかわからなくなり、緊張することでも難易度が上がることがわかります。

そして、結婚すれば夫婦関係、子供ができれば親子関係が始まり、さらに難しくなるでしょう。

ただ課題が難しくても幸福のためには必要で、人生の課題に取り組まないと対人関係に悩みが消えることはありません。

人生の課題を達成するには、その人の共同体感覚にかかっています。

どんなに知能が高くても、お金持ちでも関係なく、その人がどれだけ早く他人と接触を持つか、自分を他人にどの程度合わせることができるか、他人に共感できるか、他人を理解できるかといった、その人の共同体感覚の発達だけが人生の課題達成の手助けとなります。

仕事のタスク(他の人々の安寧に貢献するタスク)

最初に紹介する仕事のタスクは、他の対人関係のタスクよりも達成が簡単です。

3つのタスクの中で、仕事のタスクは生きるために欠かせないもので、仕事のタスクを上手く達成できないと生存が脅かされてしまいます。

そのため、たいていの人は仕事のタスクをこなしており、仕事のタスクを回避したり、仕事ができないのは何かしらの病気とも考えられます。

アドラー心理学的に、仕事とは共同体に役立つ仕事であれば、職業としての仕事と定義しており、賃金が得られるかどうかで限定してません。

なので、主婦やボランティアなども共同体の福利に貢献しているので仕事と考えます。

仕事のタスクに取り組む困難さは、個人的威信の問題に関する困難さから起きています。

自分が他者より劣っていると思う人は、自分の仕事が共同体への貢献と考えずに、威信を得るための手段、あるいは劣等感を増大する邪魔なものと考えます。

さらに劣等感を持つ人は、自分の個人的威信を脅かす、屈辱や軽視、失敗、過小評価、利用されているなどと感じると仕事が嫌いになり、幸福を感じることができなくなります。

そして、仕事が嫌いになると仕事のタスクを回避し始めます。

例えば、意図的あるいは無意識的に、仕事を続けることが不可能になるような困難なことを並び立てたり、突然イライラしたり、神経症状は思考や集中できない、不眠症だったり、機能障害では痙攣だったりします。

交友のタスク(仲間や親族との社会的関係を築くタスク)

交友のタスクは、仕事のタスクのような外的な圧力はなく、愛のタスクほど複雑ではありません。

すべての人は、他者とどのように、どの程度付き合うかを自発的に自由に決定することができます。

そのため、交友のタスクの振る舞いを見ることで、その人の共同体感覚の強さを確かめる尺度として見ることもできます。

人間関係を悪化させる人は、自分自身が誤った行動をしても他の人々が間違っていると考え、他者を責めます。

あるいは劣等感を持つ人は、自分の失敗を自分が繊細だから、自分はお人好しだから、○○だからと何かしらの自分に言い訳をし、孤立への道を選択します。

そして、「他者からは何も得るものがないのだから他者との友情を断ち切ることは価値のあることなのだ」と考えることもあります。

共同体のシステムは、私たちの見解と完全に一致する動きや思想も持つことはありません。

自分が他者とどれほど多く違っているかということをいつも強調し、その違いがとても重要であるとみなす人は共同体に協力することができないですし、社会に対する敵意のある態度を強化します。

交友のタスクを達成するためには、他者への関心が不可欠であり、本当に共同体感覚を持つ人ならば、たとえ物事が自分の思い通りにならなくても、喜んで他者へ協力します。

愛のタスク(パートナーとの最も親密に繋がるタスク)

愛のタスクは二人のタスクです。

愛のタスクを達成するには、お互いがパートナーへの欲望と、大きな勇気によってパートナーを受け入れることが必要です。

二人の人間がお互いを必要として、完全にお互いを受け入れる時に問題は解決されます。

ただ私たちは本当に親密な関係を持つことはできなくても、愛することはできます。

なので、報われない愛に走ったり、パートナーと距離をあけるために浮気したり、あるいは自信がない、自分は病気だ(不感症)と言って親密な関係を避けたりして、愛のタスクを回避します。

愛のタスクが困難なのは、「男性的抗議」「性行動への恐れ」「嫉妬」という3つの困難によって妨害があるからです。

男性的抗議

1つ目の「男性的抗議」とは、威信を求めて異性間で闘争することで、これがパートナーとの協力関係を妨害しています。

昔は男尊女卑の社会で女性が男性に従属し、男性らしい・女性らしい生き方が決まっていました。

しかし、近代では女性の権利を守ろうとして、昔よりも性の役割に対する反感を持つ人が増えました。

そのため、男性は理想の男性像と比べて自分は価値が低いと感じ、女性は旧来の女性像に反発するので、優越性を求める男女間の葛藤が起きています。

これにより、もともと不安定な男女関係のバランスを崩す理由になっています。

性行動への恐れ

2つ目の困難は「性行動への恐れ」で、教育や文化によって”恥ずかしさ”や”嫌悪の対象”を教えられることで、愛のタスクを妨害しています。

本来、自然には”恥ずかしい”や”嫌悪”という感情はありません。

排便をする行為も自然なことで、その行為が「汚い、いやらしい、ダメ」などと、社会的な規範に反抗したときの教えによって”恥ずかしさ”や”嫌悪感”が芽生えます。

ひと昔前まで、女性は女らしくいるべきだと言う社会的規範によって”恥ずかしさ”を教えることで、女性は男性に頼るものにして、なおかつ処女性を要求していました。

ただ最近では、男女間の権利を平等にすることが支持される時代になってきたため、”恥ずかしさ”が性の問題を複雑にすることは比較的に少なくなっています。

しかし、それでも不埒な男性によって女性は、恋愛での自分たちが見聞きしたことを他者と話し合ったりして、自分自身を単に男性の欲求を満足させるための対象物であるに過ぎないとみなして、男性は得をして女性は害を被る(妊娠のリスクなど)と考えることもあります。

嫉妬

最後に愛のタスクを妨害するものが「嫉妬」です。

嫉妬は決して愛の表現ではなく、誰かを完全に所有したいという思いであり、他者を引き止めておくことができないのではないかという恐れを示しています。

嫉妬は親密な関係になると起こる困難で、どちらかが優位になろうと論争する男性的抗議が原因です。

人々は親密な関係になると、両性ともに二人の関係の問題について「なぜ自分だけが代償を払わなければいけないのか」と、相手より勝ろうと論争することがあります。

男性は、自分が優れた役割を演じることを期待されていると思いがちですが、その期待に答えることができない(特に経済面)と感じています。

そのため、男性は女性よりも親密な関係になることを恐れています。

女性は、男性に従うことは犠牲になっていることだと思いがちで、その犠牲の報酬として男性が身をゆだねてくれることを保証の印と考えます。

そして、女性は男性に身をゆだねることを要求します。

その結果、特に結婚後は男性よりも女性の方が社会的、経済的にずっと有利であると証明されています。

これは嫉妬により男性を所有したいとする女性の要求が、結婚生活で通った結果なのかもしれません。

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