人生をみじめにする無駄な努力とは!劣等コンプレックスと優越コンプレックス – アドラー心理学

2021-01-05幸福論,メンタルヘルス,心理学

アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言っていますが、これは私たちの悩みは他人との比較によって生じているという意味です。

他者との過度な比較は、劣等感を生みます。

つまり、あなたの悩みを解消するには、まず劣等感について理解して取り除くことが先決です。

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誰にでも劣等感はある

アドラーは「人間の悩みは、すべては対人関係の悩みである」と言っています。

逆に言えば、もともと世界には自分以外に誰もおらず一人だとすると、孤独も感じないし、お金には価値がないし、他人との優劣なんて考えもしません。

他人がいるからこそ、他人と自分の違い生まれ、自分自身が明確なものとなります。

しかし、私たちは多様な存在であるのに、社会が決めた特定の価値基準に当て嵌めれれて競争させられています。

これにより主観的に他人との違いを意識しすぎり、客観的に他者と比較させられたりすると、自分が他人に劣っている存在だと劣等感を抱いてしまいます。

つまり、他者との関係を意識しないということはありえないことで、どんな人でも多かれ少なかれ劣等感はあります。

もし学歴や職業、年収、容姿、影響力などといった他者との優劣を、あなたが強く意識する人なら、その思い込みを正さない限り悩みは尽きないでしょう。

劣等性と劣等感、劣等コンプレックス

自分を理解する上で、他人との比較して優劣を知ること自体は悪いことではありません。

なので、劣等感にも良い面と悪い面があり、それを決めるのは自分自身です。

アドラー心理学では「劣等性」と「劣等感」、「劣等コンプレックス」の3つを明確に区分してます。

  • 劣等性:背が低い、目が悪いなど、具体的事実として劣った性質
  • 劣等感:自分が劣っていると主観的に思うこと
  • 劣等コンプレックス:劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げ出すこと

人間は他人と比較をすれば、劣っているところもあるし、優れているところもあり、劣等性を必ず持っています。

そして、「劣等性」があっても、それを劣っていると思えば「劣等感」になりますし、そう思わなければ「劣等感」になりません。

あくまで劣等感とは主観的によるものです。

また、劣等感とは悪い意味で用いられますが、「劣等感をバネにして自らを成長させようと努力する」といった劣等感を正しく活用して頑張る人もいれば、劣等感を言い訳にして努力から逃げる人もいます。

アドラーは後者のような不健全な劣等感を「劣等コンプレックス」と区分してます。

この劣等コンプレックスを持つ人は、「貧乏だから人生がうまくいかない」「何もできないのは遺伝のせいだ」と、問題を人のせいにして努力を放棄し、人生の課題から逃げてしまいます。

優越コンプレックスは劣等感の裏返し

アドラーは「劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人は誰もいない」と指摘してます。

そして、人は劣等感を持つと次の3つの選択肢を選びます。

  1. 劣等感を努力や成長といった健全な手段で解消する
  2. 「AだからBができない」と努力を放棄して劣等コンプレックスを持つ
  3. 劣等コンプレックスを受け入れずに「優越コンプレックス」を持つ

人は劣等感に苦しみながらも、努力によって解消する人もいれば、努力から逃げる劣等コンプレックスを持つ人もいます。

そして、劣等コンプレックスも我慢できずに、できない自分を受け入れられない人は、「あたかも自分は優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る」という「優越コンプレックス」という手段によって劣等感を解消しようとします。

優越コンプレックスを持つ人は、「自分が本当に強くなるための努力」をしません。

「自分が強く見えるような努力」をします。

例えば、優越コンプレックスの人は以下のような行動を頻繁に見られます。

  • 外見を着飾る
  • 女性なのに男性のように振舞う
  • 自慢する
  • 人をバカにしたような態度を取る
  • 弱い人に対して威張る
  • 外では静かなのに家にいる時にだけ横暴に振舞う
  • 病気や体調を理由にして家族を意のままに操る
  • 他人の価値を下げるよう批判する
  • 大声や大きな身振りで話す
  • 霊感などの特殊能力を強調する
  • 会話を自分に向けようとする
  • 人の話を聞き流す
  • 不幸自慢で「特別」であろうとし、相手を支配する

このような「自分を強く見せる行動」の背後には強い劣等感が隠されているのです。

健全な劣等感は「他者との比較でなく、理想の自分との比較」で生まれる

対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから解放されず悩み続けます。

私たちは教育や社会構造状において、社会とは男性的なピラミッド型であることを刷り込まれます。

例えば、「何でも1番が良い」「他人に勝たなければいけない」「負けると人生を棒に振る」など、他人との競争に勝ってピラミッドの頂点に立つことが人生にとって最善だというものです。

しかし、このような競争社会は上位の人だけが幸せで、下位の人は不幸を感じます。

人間は性格、年齢、知識、経験、外見、人種、文化、価値観など、まったく同じ人間はどこにもおらず、あなたと他者とでは明らかに違います。

なのに学校では国語や英語、数学、理科、社会といった科目、社会ではお金や学歴など(他人が決めた切り口、他人軸のルール)で、競争し評価されています。

そして、競争に負ければ強く劣等感を感じ、それが劣等コンプレックスや優劣コンプレックスとなって、人生を苦しいものと人は思い込みます。

つまり、一人ひとりは「同じではないけれど対等な存在」であるのに、その違いを「優劣」や「善悪」と絡めるから人生は苦しいのです。

人生を「他者との競争」で捉えてはいけません。

そうしなければいつの間にか、あなたは世界を「敵」と見なすようになります。

「他者との比較ではなく、理想の自分との比較」によって健全な劣等感が生まれます。

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